第T部 ☆キャンパスダイアリー☆

 

本日順風

〜夏風の吹く方へ行こう〜

 

00E2236 川口 裕史

 

《まず》

こうも頻繁に野宿旅行していると、いつのまにか習慣になってしまう思考・行動などがいくつかあります。そのうちのひとつが、朝起きたらテントの中から這いずり出、バーナーで湯を沸かしコーンポタージュスープを飲む、という行動です。これを飲みながら「今日は何しようか」「今日はどこまで行くんだっけ」などと考えながら徐々に脳の回転数を上げていきます。

別にやる必要は無いのだけれども、なんとなく毎回やってしまう。それをやらないとどうも気分が乗ってこない。そういう体験、みんな誰でも少しはしたことあると思います。僕にとっては旅そのものが‘そういう’ものであるような気がします。

ということで、今回は去年よりも少し長めに、普通の旅行記を書いてみようかと思います。二年前の自転車日本縦断旅行、それと今年の北海道一周バイク旅行。バイク旅行は諸事情により部活の文集には載せられないのでこっちにお邪魔させていただきます。

 

《日本縦断 自転車のたび》

なんせ二年も前のことなんで…手元にある部活の文集と、おぼろげな記憶をもとに書くことにします。

 

出発

出発は7月23日。日本縦断といってもこの時は沖縄には行かず、九州の最南端佐多岬からのスタートでした。自分の中で「スタートはここだっ」みたいなのがあったので。飛行機―電車―フェリーと乗り継いで実家から一日かけて佐多岬へ向かいました。

翌日、まだ日も上りきらないうちに出発。佐多岬へ行くには有料の自動車専用道を通らねばならず、しかし当然ながらそこは自転車では通行できないので、明け方まだ管理人も来ていないような時間にこっそりと侵入し岬を攻めることにしました。十数キロの山道を走り、道路の終点から密林みたいな中を歩いて30分、やっと岬に到着。なんもねー。でも景色は最高でした。タイミングよく上ってきた朝日を眺めつつ出発。厳密に言えば、日本縦断の旅はここから始まったことになります。

 

九州

錦江湾を横目に見つつ、鹿児島県を北上。桜島は現在も活動中の活火山で、僕が横を通った時も噴煙のようなものをあげていました。周辺の町には今でも冬になると火山灰が積もるらしい。周りの住民の方たちの苦労はきっとたいへんなものだろう。

錦江湾を越えてからは山の中のルートで行くことにしました。僕の中での九州のミドコロはほとんど山の中にあったのだからしかたがない。霧島神宮、五木村、通潤橋、阿蘇山、九重連山…ここから数日間毎日いくつもの山を超え、峠を越える。地図で言えば、茶色いとこや焦げ茶色のところばかりを走っていったことになる。なのでこの旅で一番きつかった思い出があるのが九州だと思います。しかし、きつかった思い出が沢山ある反面、いい思い出も九州には沢山残ってます。北海道を除けば、九州は自転車・バイクなどで旅をしている人が一番多い。また、地元の人たちも非常に優しく接してくれる。他にも、僕が小学生の頃社会の授業中にふと見た地図帳の写真の風景が、記憶のものとほぼ変わらずそこに広がっていた、なんて事もありました。九州を走っている間は、そういった出会いが新鮮で毎日飽きずに走れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国地方

九州を抜け、山口県に入ったその日、僕は下関の火の山ユースホステル(以下YHと略)というところに泊まりました。下関は本州と九州を結ぶ交通の要所であり(多分)、人の流れも集まってくるので、ここのYHも旅人で満員でした。夕食にはフグが出て、旅人の色々な話が聞け、また関門海峡の夜景もとてもすばらしかったのでこの日はとても充実していました。そして僕が一番嬉しかったのは、次の日の朝宿を発つ時に宿のおじさんがおにぎりを持たしてくれたこと、そしてその包み紙に「日本縦断がんばれ!無事宗谷岬まで走りきって下さい」とメッセージが書かれていたことでした。

山口県からはずっと日本海側を通って北へ進むことに。火の山YHを発った日、一日かけて走り阿武という町に着きました。ここに道の駅があり、温泉施設も併設されていたのでここで一泊することにしました。

最近は日本全国に道の駅が出来てきていて、中には温泉があったりキャンプ場があったりする道の駅もでてきています。そしてなにより、道の駅の敷地内で野宿をしていても何も言われない(へたにどっかの公園でテン張る(テントを張る)と追い出されるケースがしばしばある)ので自分のような野宿派にはまさにうってつけの場所なのです。ちなみにこの次の日も道の駅で泊まりましたが、その日の寝床はトイレの横のベンチでした。慣れれば結構快眠できます。

中国地方ではあまり観光はしませんでした。行ったのは出雲大社、鳥取砂丘くらいかな。鳥取砂丘は一人で行くもんじゃありません。青い空、蒼い海、どこまでも続いているような砂の丘、沢山の観光客。そのなかに独り。果てしなく寂しかったです。

 

近畿・北陸

兵庫県に入った日、僕はある人の家に泊まらせてもらいました。その人は、その年の春に大阪のYHでたまたま同室になった人で、今度近くに来たら泊まらせてあげるからまた会おうと約束していた人でした。歳こそ倍近く離れていましたがそれでも仲良くなれる。旅って不思議だと思います。

福井県を走っている時、やはり若狭湾は海水浴のメッカなので他県ナンバーの車、中でも特に愛知県のナンバーの車がとても目に付きました。そしてそれが自分にとってとても精神的に辛かったです。敦賀市を走っている時、《あぁ、ここを右に曲がれば今日中に愛知県に戻れる…柔らかい布団で寝れる…どうしようか》などといった邪心にとって喰われそうになりました。しかし幸いにも金沢に友人が住んでおり、明日泊まりに行くと約束していた事が僕を先へ進ませてくれました。あの約束がなかったら今ごろ…(以下略)。気の弱い自分。もっと精進せにゃと思います。

 

東北

縦に長い新潟県を4日かけて抜けて、東北は山形県に入りました。みちのくです。しかし、今になって気付いたんですけど、この時僕は山形県素通りしてました。一泊もせず、その日のうちに秋田県へ。たしかに山形はあまり印象に残っていない。今度行くときはもう少しじっくりと見てまわりたいです。結局この日は象潟YHで泊まる。ここで知り合った京都から来たチャリダー(自転車旅行者の意)さんとは、北海道でまた偶然会ったりした。んでその人は僕の友達にも会ってたりした。ウソみたいだけど本当にあるんです、こういうこと。しかも結構しょっちゅう。やっぱおもしろいですよ、旅。

そして次の日はもう少し北に行って磐城という道の駅まで。ここにもチャリダ−がいました。しかも今度は僕と同い年の愛知県民大学生三人組。当然意気投合し一泊する。このうちの一人は僕の語学クラスに友人がいたそうな。世間は狭い。そして結局彼らとは次の日の寝場所まで一緒でした。


 

北海道

8月12日、この日は大学生三人組と別れて一人青森港を目指す。この日の夕方に青森発函館行のフェリーに乗ることにしていました。途中、パンクしたり、ずーずー弁に悩まされたりしながらなんとか出港前に港に到着。折りしも世間はお盆休暇真っ只中ということで、フェリーターミナルは北海道に帰省・バイク旅行という人でごった返していました。特に、予約をせずに来てしまった人はキャンセル待ちでしか乗れず、中にはまる二日待っている人もいました。ライダー(バイクの人)が特に沢山いましたが、この人たちは特にチャリダ−には親切にしてくれます。ライダーの中で、チャリダ−はヒーローらしい。自分の体力で動き回る、自力で峠を登る…。人気者でした。

午後11時30分、函館港。念願の北海道に上陸しました。嬉しい気持や少々の達成感、期待・不安など全てひっくるめてフェリーを降りる。先に下りていった車やバイクのテールランプ、折り返し便に乗船待ちの車のヘッドライト、色んなものが僕の気持ちを昂ぶらせました。あの時の記憶は未だに鮮明に覚えています。事実、最北端の宗谷岬に着いた時よりも鮮明でした。ここまで頑張ってきてよかった。

この日は時間も時間なので、すぐ近くにあった大学のキャンパスの中に忍び込んで、寝袋広げて寝ました。妙に寒かった。青森から船で数時間、これだけでこうも変わるもんなのかということを体感した夜でした。さすが北海道。

北海道の道路には信号があまり無い。カーブもきつくない。本州のようなヘアピンカーブなど論外です。周りの風景も、一歩市街地を抜けたら何もない。山と海、草っ原と畑とたまに水田。他には何も無い。しばらく走ったら次の町が見えてくる。日中でもクーラーが効いているよう。とにかくすごしやすかったです。

函館から長万部、積丹を通って三日かけ小樽につきました。北海道といえば、やはり海の幸。この日は小樽市内のとほ宿(旅人が集る宿)に泊まり、そこで知り合った人たちと回転寿司を食べに行ったのですが、そこがまた美味かった。でかい・うまい・安いの三拍子ですね。多分、北海道人からすれば普通の寿司なんだろうけど、地元愛知でかっぱ寿司やアトム寿司、良くてせいぜいちょっとした和食屋で養殖伊勢海老の刺身位しか食べたことの無い純情少年の僕としては、ここの回転寿司はまさに感動そのものでした。俺は今まで何を食べてきたのだろうか…、などと思いながら見上げた小樽の夜空。そういえば、小樽運河もきれいだったなぁ。

小樽に泊まった次の日からは海岸線沿いをひた走り、宗谷岬を目指す。通称オロロンライン。本当に何もない道ばかりで、一日に一度も曲がらなかった日もあったような気さえしてきます。またそんな所で、他に走る道もないのでここでは多くのライダー・チャリダ−と会いました。北海道で旅をしている人達の間では、お互いすれ違う時にピースサインを出し合うというのが不文律となっています。“頑張ろうぜ”みたいな意味で。僕自身も何度ピースサインを出したことか…こういうこと一つとっても北海道はいいな、と思います。

8月19日、最南端の佐多岬を出て27日目。この日朝稚内を出発した僕はそこから数十キロ走り、宗谷岬につきました。何台もの観光バス。所狭しと立ち並ぶお土産屋。またそこから聞こえてくる客引きの声。そんなに感動しなかったのをよく覚えています。確か数分で立ち去ったような気がします。でも遠くに樺太が見えたのはよかった。最果てを感じました。

 

《終わってみて》

あのころは元気だったなぁ、自分。と、遠い昔のように感じてしまいます。しかし、まあ大学生活の間に「何か」やっておきたかったのでこういう旅ができたということ自体が素直に嬉しいです。この旅も、宗谷岬をまわった後半月ほど北海道でだらだらしていた訳ですが、目的をもった旅、それと目的も無くただ楽しむ旅、この両方が出来たので満足に思っています。『ただいま人生充電中』なんてステッカーを貼って走っている人もいましたが、その気持ちもなんとなくわかるような気がしました。

 

 

《北海道一周バイク旅行》

去年の五月、僕は念願の自動二輪の免許を取得しました。そしてほぼ同時に友人の乗っていた250ccのバイクを格安で手に入れることに成功します。新しい遊び道具を手に入れた僕は当然「次はこいつで旅にでよう。どこ行こうか。」と考える訳で、その年の八月、早速四国・九州へ旅立ちました。思いついてから半日で準備をし、昼から出発。その日の内に淡路島まで行ってしまうという無鉄砲ぶりでした。毎日走り回って楽しかったのですが、時間に余裕が無かった。なので、その頃から「よし、次は北海道にいってだらだらすごしてやる」と心に決めていました。

そして今年。バイクを400ccのアメリカンに買い替え、就職先も決まり、単位とお金は余裕無かったけど「まぁなんとかなるっしょ」と無理矢理自分に言い聞かせ一路北の大地に向かって愛車を走らせたのです。

 

行き

お金は初っ端から節約モード全開でした。愛知近辺のライダーが北海道を目指す場合、名古屋港か敦賀港からフェリーに乗り、二回お日さまが上ったらはいもう北海道着きましたよ、というのが普通なんですけど、高額な長距離フェリーに乗る余裕など皆無である僕の場合は、

     フェリーは最短距離で

     ご飯は一日500円目標で

     貰えるも物はもらっとけ

これを徹底することを目指してしまいました。自転車と違ってバイクは燃料入れないと動いてくれないんで。

出発は8月5日午前2時。横浜の友人宅に寄っていくので交通量の多い国道1号をせめて空いている時間に、と考えこの時間に出発しました。僕の読みは見事に当たり、横浜市に入るまではスイスイでした。10時頃難なく友人宅に到着。しかしぶっ続けで走った疲れのため、家ではほとんど寝ているだけでした。

次の日、前日と同じ目論見で午前1時に出発。渋谷・霞ヶ関などを横目に首都圏脱出を目指す。深夜でももしかしたら道が混んでいるかも、という読みは嬉しい誤算でした。あっという間に千葉県へ。夜が明ける頃には茨城県と福島県の境まで来てました。

8月7日、この日は青森ねぶた祭りの最終日であり、前々からこの祭りをひと目見たいと思っていた僕は、大枚3000円を支払って宿をとり一人で夜の青森市内へ繰り出しました。祭りは賑やかで面白かったのですが、その日の宿が夜明るい街(札幌で言えばすすきのor24条。豊橋で言えば松葉通)のすぐそばだったので、行きも帰りも客引きが激しかったです。青森は活気に満ちていました。

8月8日、台風が近づいていることもあってこの日は雨でした。雨の中下北半島を巡り、夕方本州最北端の大間崎へ。ここから北海道まで19キロ。海のむこうには北海道がはっきりと見えました。そしてその日の夕方、大間港から函館行きフェリーに乗り北海道に再上陸。雨足は強くなる一方でしたが、この日は函館に住んでいる幼馴染の友人宅に泊めさせてもらい難を逃れました。

 

道南

次の日、台風が北海道に上陸するということであまり動く気にもなれず友人と車で函館観光をする。それでも夕方、少しだけでも動こうと思い出発。しかし台風の影響で国道が通行止になっており結局函館市内から抜けられず友人宅に舞い戻る。二連泊。

台風が去ってもしばらくは天気が良くならず、青森を出た日から数えてたしか6日間ずっと雨に降られました。おまけに今年は冷夏だそうで、僕は毎日真冬の格好をして走りました。そんな訳で道南ではほとんど観光もせず、だらだらとしていました。

 

 

道央・道北

支笏湖を出て、旭川へ向かっていた辺りからだんだん天気が回復してきました。千歳を越えた辺りからいかにも北海道といった風な景色が広がり、牧草の匂いが鼻をつき始めました。こうなると僕は次第に和やかな気分になり、走る気は失せてゆき、その辺の芝生に寝っころがりたくなってしまいます。さらに、そこら辺にころがっている牧草が妙に美味しそうに思えてきてしまいました。牛の気持ちが、なんとなくわかったような、そうでないような。

今回の旅行には「ツーリングマップル」という地図を持って行きました。これはバイクで旅行する人のために作られた地図で、キャンプ場の情報やグルメスポット、道路情報なども載っているので非常に重宝しました。

その地図に載っていた店で、一つお気に入りの店があります。前回自転車で来た時も寄った店で、旭川市にある「花ちゃん」という定食屋です。カウンターが10席ほどでおばちゃんが一人でやってる店なんですけど、どうやら皆このおばちゃんの人柄に惹かれて何度も足を運んでしまうらしく、店内には旅人のメッセージが沢山残されていました。今回僕も二日連続で店に行き、おばちゃんと仲良くなってきました。みんなももし旭川に行くことがあれば是非寄ってください。そしておばちゃんに話し掛けてみてください。きっと良い思い出がひとつ増えると思います。


旭川の辺では、美瑛・富良野などの要所を押さえつつ、露天風呂に入ったりなんかして3日ほどだらだらしてました。この間はライダーハウスと呼ばれる旅人向けの簡易宿泊施設に泊まっていました。大きな部屋に各々寝袋を敷いて雑魚寝する、というもので、こういう場所に一人で行くと大抵友達ができます。今回は、同じライダーハウスに泊まりたまたま話してた人が名古屋の人でしかも愛知大学三好校舎の人だった、なんてこともありました。

旭川を出た日、一昨年も走ったオロロンラインに出、稚内を目指しました。自転車で3日かけて走った道を一日で走りました。ほとんど止まらず爆走し、夕方には稚内市内へ。やはりバイクは速い。でも速い分だけ何か大事なものや面白いものを見逃してしまっているような、そんな気持ちにもなります。そうなるとやっぱり自転車の方が楽しいな、と思ってしまいます。

そして次の日、日本の最北端宗谷岬へ向かいました。やはり二年前と変わらず人、人、人で大混雑でした。軽く軽蔑の意も含めて素通りする。そして、またも爆走。その日のうちに道東はサロマ湖へ到達しました。

 

道東

サロマ湖湖畔のキムアネップキャンプ場に着いたのが8月15日。道東を巡ることが今回の最大の目的であった僕は、この日から10日間をかけて道東を気の向くままに、うろうろだらだらすることにしました。

この日(/15)、キャンプ場に入る少し前の道で立ち往生しているバイクを見かけました。まぁちょっとの距離だし手伝ってあげようか、と思い僕はキャンプ場までそのバイクを引っ張ってってあげました。そのバイクのおじさんはお礼に、という事で僕に夕ご飯をご馳走してくれたのですが、打ち解けてくるにしたがって次第に(ん?この人はなんか変だ)と思うようになってきました。何かこの人、誰か一緒に走ってくれる仲間が欲しいらしく、もっと正確に言えば毎日一緒に走って、面倒くさがりな自分の身の回りのことをやってくれる人を探しているらしく、僕がその標的になっているようなのでした。そもそも、僕はこの日このキャンプ場で同じくバイクで旅行中の部活の後輩と落ち合う予定でした。がしかし、後輩は予定通り進めず僕の所までは行けない、ということになり絶体絶命に。口実のなくなった僕はもはやサロマ湖の美しい夕焼けを見る心の余裕などなく、その日は後輩を少々恨みつつ床に着きました。

次の日、件の人は朝からせっせと自分のバイクを修理し始め、僕は横でただただ作業を見続けていました。バイクの調子は一向に良くならず、しかし僕が開放される兆しは一向に見えない。後輩もまだまだ遠くにおり、日はどんどん高くなっていく。時計が12時をちょっと過ぎた時、僕は意を決し「後輩が近くに来てるんで」とかなんか適当なことを言って逃げるように出発しました。今思えば、おじさんには申し訳なかったけどあそこで出発しておいて良かった。しかし僕は、あのおじさんのその後(の人生)が心配でしょうがありません。その日の夜は一日遅れで後輩とやっと会えました。後輩を見た時、僕は嬉しさと苛立ちが入り混じりおもわず回し蹴りをくらわせそうになってしまいました。

この後輩とはそれから3日間、屈斜路湖―霧多布―根室と一緒に走り道東を巡りました。カヌーやったり、カニ食べに行ったり、霧を見に行ったり…この時が一番観光してたかな。一人だとどうしても観光地に行きづらくなってしまうので。

本土最東端の納沙布岬に着いたのは8月19日。819でバイクの日だったらしく警察の人が交通安全の旗を配っていました。しかし旗が貰えたのは嬉しかったですけど、納沙布岬からは北方領土は見られませんでした。見れたらきっと「国境」を感じることができただろうに。花咲ガ二を食べて岬をあとにしました。

摩周湖の近くの神の子池も素晴らしかったです。多分北海道のミドコロベスト3に入ります。エメラルドグリーンってこんな色なんだー、と感激してしまうことうけあいです。ちなみに、摩周湖は“霧の摩周湖”と呼ばれ、晴れて霧の無い摩周湖を女性が見ると婚期が3年遅れる、と言われるくらい霧が良く出ることで有名です。がしかしそれは昔の話らしく、ここ数年・十数年は気候の変化で霧が出ている事の方が珍しいらしいです。僕が行った時も霧一つ無い摩周湖でした。

摩周湖で霧が見れなかった僕と後輩は「本物の霧が見たい」という考えで一致し、釧路から東へ行った所にある浜中町へ行くことになりました。ここは通称霧多布(きりたっぷ)と呼ばれており、年間の霧発生日数が110日を越える本物の霧の町なんだそうです。御多分に漏れず、視界が悪くなる程の霧が僕らを出迎え、見送ってくれました。

この他にも道東は良いとこが沢山あります。今回は結局道東を三周くらいしました。ここは一ヶ月くらいいても退屈しない。と言うより一ヶ月くらいいないと楽しめない、そんな所でした。

 

8月23日、前日の天気予報が雨だったこともあり僕は帯広市内のライダーハウスに泊まっていました。雨だからゆっくり休もうなんて考えていたのですが、朝になると雨はあがっており晴れ間が出てきました。これはどうしようか。その日出掛ける気も、バイクに乗る気もなかった僕は少し考えました。そして思いついたのが「ヒッチハイク」をすることでした。ヒッチハイク初体験の僕が目指すは襟裳岬。往復で200キロはある。行けるかわかんないけど、取りあえずヒゲを剃り、必要な荷物をリュックに入れ、バイクその他の荷物は宿に預けて僕は近くの国道へ出ました。

親指を立てた手を、高らかに車の方へ向ける。いままで見た事も無いような笑顔で。視線は常に運転者の目を見据える。そして『俺を乗せてくれ!』心の中で叫ぶ。しかし、そうそう最初から上手くいくはずも無く、30分くらいは待ちぼうけ。(やっぱ無謀だったかなぁ)なんて凹みはじめたとこで、親切な老夫婦の方の車が止まってくれました。

止まってくれた加藤さん夫妻は帯広郊外に住んでいて、この日は偶然にも襟裳岬までドライブに行くということでした。

こんな良い話があってよいのだろうか。加藤さんはその日のドライブに最初から最後まで僕を乗せていってくれました。もう本当に感動でした。今回旅をしていてここまで嬉しかったことは他にはありません。一緒に襟裳岬をまわり、ご飯もご馳走してもらい僕が見たことのない観光名所までまわってくれました。最後はお土産まで頂いてしまい、お世話になりっぱなしでした。旅しててよかったな、と心底思える一日でした。

合宿

8月25日から31日までは自転車部の合宿があり、その間僕はバイクを合宿最終日の宿に置かせてもらいチャリダーに変身しました。

バイクならあっという間に越してしまうような峠を何時間もかけて汗だくになりながら登り、自分の力で走り回る自転車での旅はやはりきついけど面白かったです。バイクにはバイクの、自転車には自転車の良さがあります。四年生として、今までの部活の集大成として臨んだ今回の合宿はとても実りのあるものになりました。

 

 

帰り

8月31日、この日の朝に合宿は解散し、僕はそこからまっすぐに愛知へ帰ることにしました。というのも一ヶ月にわたる旅で、軍資金がほとんど尽きていた状態だったので、寄り道もせず、長距離フェリーなどもってのほか。陸路と最短距離のフェリーで帰ることにせざるをえなかったのです。

軽く計算してみると、ガソリン代とフェリー代を払うと残金が千円程度しか残らない、という計算になりました。不可能な気もしましたが、もたもたしている場合でもないので取り合えず出発しました。帯広を出て、苫小牧、室蘭と順調に走る。室蘭で寄った道の駅で、僕が今回北海道で寄った道の駅が50駅に達しました。ここで道の駅スタンプラリーも終了する。よく頑張った。

この日はまた函館の友人宅にお邪魔することになった。夕飯をご馳走になる。この日は朝宿でめいっぱいご飯を食べて、途中ではまったく何も食べなかったので食費はゼロでした。ごちそうさま。

次の日9月1日、8時40分発の青森行フェリーで北海道を離れました。次はあるだろうか。また機会があれば…なんて考えながら離れていく北の大地を見ていました。

青森まではあっという間でした。そしてそこからまたも爆走。ほとんど飲まず食わずで夜10時頃まで走り、新潟県に入りました。この旅最後の野宿。道の駅にテントを張って寝ました。毎日のように使ったテントは下にいくつかの穴が。このテントにも感謝しなきゃなぁ、なんてしみじみ思いました。

9月2日この日も一日走り、夕方愛知県へ入りました。豊田の辺りで道に迷いながらも9時くらいには家に到着。合宿が終わってからの3日間、毎日ろくなものを食べず常に胃をからっぽにしたまま1500キロを走りました。家に着いたとき財布には数百円しか残っていませんでしたとさ。

一ヶ月ぶりの川口家はいつも通りで別段かわった様子も無くなんとなく安心しましたが、夜空を見上げると、晴れているのにもかかわらず星が見えずやたらと空が明るい、そんな街の夜空があり、「今度はどこかにきれいな星空でも見に行こう」と思ってしまう自分がいるのでした。

 

《終わってみて》

今回の旅は、自転車バイク電車徒歩ヒッチハイクと、とても贅沢な旅が出来たと我ながら思います。特にヒッチハイクは新鮮で、自分の中ではかなり衝撃的な出来事でした。これからも機会があったらやってしまいそうな、そんなハマりっぷりです。

 

「今まで旅した中で、どこが一番良かった?」という質問はとてもよく受けますが、その他にも「旅をしてて、何が一番楽しい?」という質問もたまにされます。

何なんでしょう。何が一番楽しくて、こうも僕を旅に駆り立てるのでしょうか。

 

行く先々で出会うであろう、雑多な、個性溢れる人達への好奇心か

まだ見たことのない風景や、どこかで見たことあるような風景か

ただただ、自分で目標を見つけ、それに邁進することなのか

自分でもよく分からないです。けど、自分の身のまわりで起こった事、目に見えたもの、それら自分で感じたもの全てが、少しずつ、僕を動かしてくれました。だから、「何が一番楽しい?」と聞かれても、「全部だよ」としか答えられないんです。適当にあしらっている訳ではなくて。

あと一つ言えるのは、「風」を感じることかな。バイクで高速道路走ってても、自転車で峠道を登ってるときも、電車を待ってるホームの上でも、ヒッチハイクで親指突き立て道端に立ってる時でも、いつでも、自分が動けば風が吹きます。その風を感じる事が、きっと好きなんだと、そう思います。